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広島高等裁判所松江支部 昭和56年(ラ)5号 決定 1981年8月17日

抗告人(原告)

謝文信

右訴訟代理人

岡崎由美子

相手方(被告)

住友生命保険相互会社

右代表者

千代賢治

右訴訟代理人

永澤信義

外二名

主文

原決定を取消す。

相手方(被告)の本件移送申立を却下する。

理由

一本件抗告の趣旨及び理由は別紙のとおりである。

二そこで検討すると、まず、記録によれば、(一)抗告人は相手方との間で抗告人の長男を被保険者、抗告人を第一順位の受取人、抗告人の二男を第二順位の受取人とする死亡時支払金額一五〇〇万円の定期付養老保険「しあわせの保険」契約を締結したこと、(二)右「しあわせの保険」普通約款(以下、本件約款という)四四条は、「保険金等の支払金は必要な書類が会社の本社に着いた日の翌日から起算して五日以内に会社の本社で支払います。ただし、調査が必要なときは、五日を過ぎることがあります。」と規定していること、(三)抗告人は、長男が死亡したので、右契約に基づく保険金一五〇〇万円の支払を請求したが相手方がこれに応じなかつたため、相手方を被告とする右保険金一五〇〇万円の支払請求の訴を松江地方裁判所浜田支部に提起したこと(以下、これを本案事件という)、(四)相手方は、本案事件の普通裁判籍、義務履行地の裁判籍とも管轄裁判所は大阪地方裁判所であるとして、同裁判所への移送の申立をしたこと、(五)同支部は本案事件を同裁判所に移送する旨の決定をしたことの各事実が明らかである。

ところで、原決定は、抗告人訴訟代理人の、本件約款四四条の規定は義務履行地を本社に限定するものではなく、右規定の合理的解釈と保険金支払に関する実務の慣行からして、受取人(抗告人)の住所地も義務履行地というべきであるという論を排し、相手方訴訟代理人の論を採り、本件においては、本件約款に則つて保険契約を締結したものと解するのが相当であり、従つて、義務履行地による裁判籍は相手方本社所在地を管轄する大阪地方裁判所にあるものというべきで、保険金の支払について相手方が保険金請求書に受取人の希望する送金方法を記載させ、持参払の希望があるときは、顧客に対するサービスとしてその希望に添うよう便宜を図つているが、このような取扱いをもつて、保険金受取人の住所で保険金を支払う取引慣習があると即断することはできないし、持参払の合意が成立したことを認めるに足りる証拠がない、としている。

本案事件が松江地方裁判所(浜田支部)の管轄に属するためには、合意管轄がない以上、義務履行地が同裁判所の管轄地内にあるか、あるいは、相手方の支社又は支部が民訴法九条にいう事務所又は営業所にあたる場合に限られることとなる。しかし、まず、原審証人後藤茂子、同管義道の各証言によれば、相手方は同裁判所の管轄地内に、松江支社並びに浜田支部を設置していることが認められるが、これらが前記事務所又は営業所にあたると認めるに足りる証拠はない(抗告人もこの点は主張していない。)。

そこで、問題は、持参払等の取引慣行が存するか、又は、持参払の合意が成立したかどうかについてである。まず、<証拠>によつても、本件のような場合に持参払の取引慣習があると認めるのに十分ではなく、他にもこれを認めるに足りる証拠はない。

進んで、持参払の合意が成立したかどうかを検討すると、まず、<証拠>によつて、次の各事業を認めることができる。

相手方浜田支部外交員後藤茂子は、保険金支払請求の件で抗告人方を訪れ、保険請求書(所要事項を記入、押印等したものが甲第一号証)作成の際、抗告人に対し保険金支払方法について希望を聴取したところ、同人は持参払を希望したこと、同請求書には、保険金受取人等の欄の下に、送金の際の銀行振込、郵便振替の口座番号等を受取人が記入する欄があり、更にその下に、会社使用欄として、保険金の支払方法について印をつける欄があり、それは、「1、店頭払 2持参払」とあつて、その右側に請求取次者として支部・営業所名と氏名を書く欄が設けられていること、本件請求書では、右銀行振込、郵便振替の欄に記入はされず、右後藤は、店頭払、持参払のいずれもチェックすることなく、請求取次者の欄に自己の氏名等をゴム印で補充し、その他の欄も補充したうえ右請求書を相手方松江支社に送付したこと、同支社はこれを同年三月七日受付けて形式上不備がないか点検したうえ、更に、これを相手方本社査定課に送付したこと、相手方社内の取り扱いとしては、右請求書の銀行振込、郵便振替、店頭払、持参払のいずれの欄にも記載、チェックがない場合には、持参払とすることとなつていたことの各事実が認められ、これらの認定に反する証拠はない。

これらの事実を総合すると、本件約款四四条の取り決めがあるにもかかわらず、右後藤が抗告人に対し保険金支払の方法についてあらためて希望を聴取したのは、同条についての特約の申込の誘引をしたものとみるのが相当である。即ち、右後藤証言に照らすと、同条の規定にかかわらず、実際には、保険金支払請求の段階であらためて具体的に受取人の希望を聴取し、多くの事例ではその希望に添い支社での店頭払や受取人方への持参払が行われているものと推認され、相手方としては同条に従いすべてについて本社における支払を行つているものではないことは明らかである。そうであるからこそ、前記請求書に「店頭払」或いは「持参払」という表現を用いてこれに印をつける欄を設けているものと思われる。しかして、相手方は実際に行つている右持参払等を単なるサービスに過ぎず、義務履行地の取り決めはあくまでも同条によるというのであるが、そうすると、同条は、結果として、多くの事例では、保険支払に関する義務履行地の裁判籍を相手方本社所在地を管轄する裁判所とする、換言すれば、保険金受取人の住所地を管轄する裁判所とはしない効果を持つに過ぎないといつても過言ではないこととなろう。しかし、かかる訴訟における関係者の多くは、むしろ、保険金受取人の住所地の近くに居住することが多いことは容易に推測されるから、訴訟経済の点から考えても、この結果は妥当ではないと思われ、従つて、相手方の右持参払等をもつてサービスとみるのは相当ではない。

ところで、相手方の右希望聴取をもつて特約の申込又はその誘引のいずれとみるべきかについて付言するに、特約の申込とみるとすると保険金受取人が持参払等を希望したときに特約が成立することとなるが、相手方においては保険金受取人の持参払等の希望に必ず応じなければならないものではなく、更に、その諾否を決定する権利を留保しているものとみるのが、当事者の意思解釈として合理的であると考えられるから、右希望聴取をもつて特約の申込とみることはできず、それは、特約の申込の誘引とみるのが相当である。そうだとすると、本件では、抗告人が持参払を希望したのであるから、これをもつて特約の由込とみるべきである。しかして、相手方は、主張自体に照らしても、これに対して格別、諾否の通知を保険金受取人に対してしていないことが明らかであるが、かかる場合は、商法五〇二条九号、五〇九条の適用があると解すべきであつて、相手方は相当期間内に諾否の通知をすべきで、それをしない以上これを承諾したものとみなすべきである。

三以上のとおり、本件では、抗告人が持参払の特約の申込をしたことが認められるのに対して、相手方は前認定のとおりその諾否の通知をしておらず、遅くとも、本訴提起時には、右通知をすべき相当期間を徒過しているというべきであるから持参払の特約が成立したものというべきである。そうすると、義務履行地の裁判籍は抗告人の住所地を管轄する松江地方裁判所に属することとなり、これが相手方本社所在地を管轄する大阪地方裁判所に属し、原裁判所に管轄権がないとして民訴法三〇条一項により本案事件を同裁判所に移送することは違法となる。記録を精査しても、民訴法三一条による移送をも相当とすべき事由も見当たらないから、相手方の申立に基き本案事件を同裁判所に移送する旨決定した原決定は取消を免れず、本件抗告は理由がある。

四よつて、原決定を取消し、相手方の本件移送の申立を却下することとして、主文のとおり決定する。

(藤原吉備彦 萩原昌三郎 安倉孝弘)

別紙<省略>

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